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2012年8月11日 (土)

正義について ~日本人として~

古くギリシャで「悪法も法なり」(ソクラテスが述べたとされています)
という議論があったことをご存じの方は多いのではないでしょうか。

裁判所や弁護士が棲む法律学の世界では、
「何が正しいことなのか?」
あるいは、
「法は、何が正しいと決めることができるのか?」について、 
分野的には「法哲学」という学問分野で、
古くから、
「法における正義」「民主主義と正義」についての
議論が繰り返されてきました。

ナチス政権時、ドイツの法学者 カール・シュミット が 
ナチス独裁政権を「大衆の歓喜(アクラマチオ)」による支持を
受けたとして正当化したことは有名です。

これに対する歴史的批判(反省)から、
長い間、ハンス・ケルゼンを中心とする価値相対主義が
戦後長い間主流派を形成してきました。ケルゼニアンと呼ばれることもあります。

このあたりのことは、樋口陽一教授の「比較憲法」に
良く整理してまとめられています。
ご興味のある方はご参考になさって下さい。

その後、法に価値を持ち込む試みをした人物として有名なのは、
やはり、アメリカの、ジョン・ロールズでしょう。
ロールズは、ハーバード大学で「正義論」を展開します。
彼の正義論は、当時、アメリカが、公民権運動(黒人差別撤廃運動)、
ベトナム反戦運動などが繰り広げられていた
時代背景との関係なしには理解することができません。

近時話題となった、マイケル・サンデル教授の議論も、
これら欧米での「法と正義」の議論を、当然、下敷きにしているのです。

これが、本当にごく簡単な、近代西欧法哲学における正義論のスケッチです。

さて、どうしてこのようなことをブログに書こうと思ったか、告白しましょう。
ごく最近、驚嘆すべき人物と出会い、心底驚く経験をしたからです。

上述のような近代西欧正義論を、
極めて表面的部分的に聞きかじったにすぎない同業者(優秀な方です)が、
「日本には、正義についての議論が、歴史的にも全くなかったし今もない。」
「正義についても英語で考えていけばよい。」と断言して憚らないのです。
因みに、この御仁は、いわゆる大手事務所のビジネスローヤーではありません。

確かに、
明治維新後、日本は脱亜入欧政策を取り、西欧文明の摂取に注力してきました。
そして、戦後、日本国憲法や教育基本法その他の多くの法律が、GHQの強い影響下で作成され、
よりいっそう欧米化が進んだのは事実です。

しかし、もちろん、日本は敗戦以前から存在する国家であり、
日本人も当然数千年前から存在するのです。
律令国家時代であっても、どのような為政をなすことが正しいかということは
当然議論されてきたでしょう。日本史の教科書を復習すればすぐにわかることです。
また、私が読んだことがあるだけでも・・・
例えば、吉田松陰は多くの著作を残した優れた思想家です。
また、大塩平八郎も陽明学を独自に発展させ、多くの思想書を残しています。
中江兆民は、何を思索し何を議論したというのでしょう。
現代の憲法学の巨人・芦辺信喜が「超実定法的実定法としての『自然法』」として、
憲法規定の価値に序列を付けようと試みる議論を展開する真意は何だと思っているのでしょう。

日本人は、日本の歴史をおろそかにしてはならない。私は強くそう思うのです。



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