カテゴリー「歴史」の21件の記事

2013年12月14日 (土)

ご近所歴史探訪~俵物会所跡

私の事務所から徒歩数分、大阪証券取引所の向かいに
「大阪俵物会所跡」の碑があります。

碑の横に設けられた解説文によれば、
江戸時代には、金、銀、銅、など重要品は、幕府の厳しい統制下におかれ、
定められた商人が定められた場所でしか取引出来なかった。
その定められた場所のことを「会所」と呼んだそうです。

そして、俵物とは、ふかひれ、干しなまこ、干しアワビなど、
当時、日本の重要な特産品として、長崎から海外に輸出されていたそうです。
その俵物の取引を行う取引所が、「俵物会所」という訳です。
当初大阪の備後町に設けられた「俵物会所」、
安永6年(1777年)にここ北浜に移り、明治まで続いたとか。

江戸時代~明治にかけての大阪は北浜の
活気溢れる街の姿が目に浮かぶようですね。

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2013年11月18日 (月)

ご近所歴史探訪~道修町の歴史~

神農さん(少彦名神社)のある薬問屋の街、道修町。
神農さんのお隣いんは、「くすりの道修町資料館」があり、
誰でも無料で見学させて頂けます。
私も資料館を見学して、少し勉強させて頂きました。
道修町の発祥は、どうやら、豊臣秀吉の城下町作りに端を発する様子。
大塩平八郎の乱では、かなりの部分が消失したそうです。
また、大阪の町人達が愛珠幼稚園を発足させた際には、
道修町の薬問屋達が大いに力を発揮したとか。
神農祭りで有名な張り子の虎は、
大阪市の指定無形文化財になっているそうです。

Siryoukan

Harikonotora

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ご近所探訪 ~ 神農さん(少彦名神社)

大阪は道修町(薬問屋の町)に神農さんと呼ばれる神社
~正式には少彦名神社 http://www.sinnosan.jp/gosaijin.html ~ があります。
今年も、この神社の神農祭りが、11月22日・23日に迫ってきたようです。
私は、近くの小学校に通っていた頃、
このお祭りが楽しくて仕方がありませんでした(笑)。
神社は道修町の細い道を入ったところにあり、目立たないのですが、
入り口には、谷崎潤一郎の春琴抄の碑があります。

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ご近所探訪 ~ 難波橋(ライオン橋)

北浜駅(京阪電鉄・地下鉄)の駅を出ると、
北側に向けて、
大きなライオンの像が橋桁にかかった橋、
難波橋(通称ライオン橋)があります。
北に渡りきる途中、大川の中間地点に中之島があり、
中央公会堂や、東洋陶器美術館に行くことが出来ます。
また、薔薇の花が美しい通称バラ園という公園などが整備されています。

この橋を北に渡り切って頂けば、私の事務所が直ぐあります。

歴史の中では、難波橋は、
大塩平八郎の乱で、大塩軍が、この橋を南下し、
大阪の豪商街に向かったことでも有名ですね。

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ご近所歴史探訪~愛珠幼稚園と銅座の跡

私の事務所から南西に徒歩10分ほどのところに、

愛珠幼稚園の園舎があります。

愛珠幼稚園のホームページによれば、
 愛珠幼稚園
「主人花を愛すること、珠を愛するが如し」
幼子もまた掌中の珠として愛するという
園名の由来にあるように明治13年に創設された、
大阪で一番歴史の長い日本でも3番目に古い幼稚園です。とのこと。
国の重要文化財に指定されています。

この幼稚園、民間建築の幼稚園としては日本最古のものだそうです。
当時財力を誇った大阪商人~道修町などの財力の背景が伺えますね。

オフィス街のドア真ん中にこのような風情ある営みが残っていること自体、
とても不思議で、また、何とも幸せな気持ちになりますね。

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愛珠幼稚園の玄関脇には、「銅座の跡」の碑が。
こちらもなかなかの歴史を感じさせられます。

 

 

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2013年2月26日 (火)

消費者概念の限界と消費者運動の将来・・・TPP時代に

第二次世界対戦後、私が大好きなラルフ・ネーダーを旗頭として、
消費者保護運動がアメリカで巻き起こりました。
ゼネラルモーターズの欠陥自動車問題から、
すべてを牛耳る大企業の専横に対して、
大量生産大量消費時代の到来を受けて、
大企業が大工場で大量生産した製品を購買せざるを得ない
弱き消費者の立場に立った運動は、大衆的支持を受けたのです。

しかし、世の中は更に進みました。
グローバリズム、市場(主義)経済の完徹、
TPPなど聖域なき関税撤廃が、主にアメリカによって、叫ばれています。
このような流れに対して、
「消費者」概念が、抗うことを知らず、
むしろ、規制緩和論との親和性を誇る論者すら珍しくない状況をみるにつけ、
私は、消費者概念の歴史的限界を見るように思うのです。
グローバリズムのを無批判に受け入れ、
規制緩和論を無批判に肯定する中での、
保護されるべき「消費者」は、限りなく限定されるべきでしょう。
あいまいで分かりにくい概念を「市場」は嫌うでしょうから。

「消費者」概念が、窮屈になってきていることは、
このブログでもたびたび取り上げたところです。

しかし、私は、消費者運動の将来については、まったく悲観していません。
なぜなら、 消費者運動は、かつても、そして、現在も、 そして将来も、
そのときどきの社会で、救われない、弱きものの声なき声をすくい上げる
社会運動だったし、これからもそうだろうからです。
人間が人間らしくあるための、いとなみだからです。
消費者運動にとっての敵は、
1)狭苦しく凝り固まった「消費者」概念
そして
2)官僚主義の壁 ではないか。
そう思うのです。

言うまでもありません。 本当の消費者運動、真の消費者運動は、
今までの成功体験に安住することなく、 官僚主義の弊害を踏み越えて、
その原点…契約社会における弱者救済の観点から、
再構築されなければならないのではないでしょうか。
グローバリズムの足音騒々しい昨今、つとに思うのです。

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2012年11月27日 (火)

比嘉正子さん ~ 生活者としての運動 ~

先日、
大阪は都島区にある
比嘉正子記念会館を訪問する機会がありました。
比嘉正子記念会館Web

みなさん、比嘉正子さんってどんな方か、ご存知ですか。
比嘉正子さんについて、上の記念会館Web記載を引用させて頂きます。
1905年(明治38年)3月5日、沖縄県首里市金城町に生まれる。
パプテスト女子神学校(大阪市東淀川区今里)を修了。
1931年(昭和6年)3月に都島幼稚園を設立して園長に就任、その後も幼児教育に力を注ぐ。
1945年(昭和20年)、戦後の深刻な食料危機にたまりかねた、
大阪府鴻池新田西村の主婦たち15人が立ち上がり「米よこせ」運動を起こし、功を奏した。
そのことを発端にして「おかみさんの会」が発足
比嘉正子は3代目会長となり、「大阪主婦の会」の始まりである。
1949年(昭和24年) 大阪主婦の会の書記長であつた比嘉正子は、
幼児教育に力を注ぐため役員を辞任。時を同じくして府下の各主婦の会が連合体を目指し、
「関西主婦連合会」の発足となり顧問になる。
1950年(昭和25年)12月「関西主婦連合会」2代目会長に就任する。
その後の活動は目覚しく、牛肉不買スト運動、電気料金・フロ代値上げ反対、
牛乳値下げ運動、主婦の商品学校など、活動と実践を重ね生活者の権利
を守るために全力を注いだ。
1969年(昭和44年)昭和25年以来の主婦の念願が実り
「関西主婦会館」(現在の比嘉正子記念会館)完成。
生涯を通して、ゆりかごから墓場までの理念のもと活動する。
物価問題を中心に多くの公職も歴任、物価問題懇談会、物価安定推進会議、
大阪市公営事業審議会委員などで活躍した。
1979年(昭和54年) 4月29日 勲三等瑞宝章を授章さる。
1992年(平成4年) 11月12日 87歳で逝去。
出典: 関西主婦連のあゆみ 関西主婦連のあゆみⅡ 女の闘い

大変傑出した人物だったのですね。
比嘉正子さんの名前を冠した会館は、
今もしっかりと運営を続けておられるようです。
(もちろん好き嫌いなど立場の違いによる評価の違いはあるでしょうが)
生活者の運動の出発点といえるかも知れません。

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2012年11月19日 (月)

戦後史を学ぶ必要性

衆議院が解散され総選挙の日程が決まりました。
歴史にまた新たな1頁が記されようとしています。

だからこそ、という訳ではないのですが、
戦後日本が歩んできた道を振りかえることは
とても大切なことのように思います。

田原総一郎氏の「日本の戦後」上下は、
数年前の出版されたもので
その時点までのことしか既述がないのが難点。
ただ、マスコミ界で大活躍する著者によるもので
多方面にわたる田原氏による戦後史の総括です。

孫崎氏の「戦後史の正体」は今年出版された
「アメリカ」ということに焦点をあてた一冊。
外務省の要職を経て防衛大学校で教鞭を執った
孫崎氏ならではの一冊と言えそうです。

もちろん読むべき書籍、
ご紹介すべき書物は他にも多いと思いつつ・・・。

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2012年11月14日 (水)

読書日記 ~ ダライラマ14世 ~ 般若心経入門

ダライラマ14世の来日がマスコミに報じられています。

ダライラマ14世来日~中国刺激の可能性~朝日
私自身、ダライラマ14世のことを知りたいというよりは、
仏教のことをより理解したいという気持ちから、かなり以前に、
ダライラマ14世の数ある著作の中で、
~般若心経入門~を読みました。
結論から言えば、単なる教義の解説を超えた、
多くのことを学ぶことが出来たと思っています。

信教の自由、内心の自由。いかに大切なことか。
このブログでは記すことを控えますが、
ダライラマ14世の存在が提起する問題は、
とても重いものと思います。

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2012年10月28日 (日)

歴史探訪~吉田松陰と松下村塾

明治維新に向けての幕末期、
吉田松陰(長州藩)が、江戸幕府との関係で困難な身に陥り、
松下村に幽閉された際、そこに、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文などなど
多くの若者が集い、松蔭の薫陶を受けました。
歴史に名高い「松下村塾」です。

吉田松陰は激烈な尊皇攘夷論者といわれますが、
その後の塾生達の大活躍ぶりを見れば明らかなとおり、
単にイデオロギーを説くだけの人物では無かったようです。
元々が長州藩お抱えの兵学者の家柄である吉田松陰は、
自らも海外渡航を試みるなど、事実を直視することに極めて貪欲でした。
(少なくとも軍事的には)厳しく冷徹な目を持っていたと思われますし、
すぐれた教育者としての面を兼ね備えていたことは明らかと思われるのです。

吉田松蔭は、わずか2年程の間松下村塾で教えた後、安政の大獄で命を落とします。
江戸に向かう際の松蔭の気持ちを綴った文書や、伝馬町の牢屋での文書、
刑殺される直前の記述文書などが、
松下村塾の隣に近年開設された「至誠館」という史料館に展示されており、
閲覧することが出来ます。
資料や文章を読めば、吉田松蔭が、本当に命がけで国のこと民のこと家族のことを思い、
実践した人物であることがひしひしと伝わってきます。
国政を論じ、政治に携わる人達はもちろん、
そういうこととは縁遠い庶民からも、吉田松陰が今も尊敬を集める所以でしょう。

その後の塾生達のなおいっそうの奮闘ぶりは、皆さんもよくご存知のところと思います。

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