カテゴリー「消費者とは?」の19件の記事

2013年6月18日 (火)

豪州における「消費者」の対置概念 ~供給者~

いま、私が所属する大阪弁護士会消費者保護委員会の有志の皆さんが、

オーストラリア新競争消費者法の抄訳に取り組んで下さっています。
作業を拝見し、ふと発見したことがあります。
オーストラリア競争消費者法において、
(ごく一部の英文を仮訳していただいている段階ではありますが、)
the consumer  消費者  の対置概念としては、
the supplier  供給者   という言葉が用いられているのです。

日本法において、例えば消費者契約法において、
消費者の対置概念として「事業者」の語があてられ、
その弊害が重大であることを考えるとき、~消費者事業者2分論の弊害~
「供給者」というのは、ひとつの代替策となり得ると思うのです。

cf.消費者vs.事業者2分論の弊害については、
このブログでも、何度か採り上げてきました。

消費者の対義語は?
もちろん、対置概念を「供給者」と考える場合でも、
「供給者」の定義付けに失敗すれば、元の木阿弥ではあるのですが。   

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2013年3月10日 (日)

裁判例の活用方法~法廷に立つ実務家としての留意点

近時大阪弁護団が獲得したいくつかの裁判例について

リース会社に監督責任ホームページリース初の勝訴判決!

各地の様々な立場の方と、様々な議論をさせて頂きながら思うところがあり、
このブログを書かせて頂きます。

判例には、常に、
          『射程距離やいかに?』
という議論があります。
判決の結論に反対の向きは、
その判決に至った事案の特殊性を強調し、
射程距離を狭く解すべきとの議論を展開するでしょう。
逆の立場からは、逆の立論があるべきであり、
徒に謙抑的である必要はないように思われます。
また、判旨で述べる規範が、
普遍性を持つ一般的なものと理解できるものであれば、
普遍的に妥当領域を探るべきは当然と思われるのです。
例えば
・・・例としては大仰で恐縮ですが・・・
フランス人権宣言や、アメリカ独立宣言を習って、
フランスやアメリカの特殊事情に基づく宣言・・・という歴史的(大人)な解釈とは別に、
人類普遍の原理・理念に、胸を熱くされた思い出を持つ方は多いと思うのです。
法治国家において、
法解釈を宣言した裁判例の持つ意味
~普遍的意義~
を、再度、みなで思い起こしていただければ、と思うのです。
個別具体的事情をもとになされた判示であっても、
いったん判決によって定立された規範は、
普遍的・一般的価値を持つのですから。

すなわち、
法規範とは、        ・・・抽象的&一般的なものです。
裁判例による解釈基準・・・・抽象的&一般的な法規範を補充するものだからです。

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2013年2月26日 (火)

消費者概念の限界と消費者運動の将来・・・TPP時代に

第二次世界対戦後、私が大好きなラルフ・ネーダーを旗頭として、
消費者保護運動がアメリカで巻き起こりました。
ゼネラルモーターズの欠陥自動車問題から、
すべてを牛耳る大企業の専横に対して、
大量生産大量消費時代の到来を受けて、
大企業が大工場で大量生産した製品を購買せざるを得ない
弱き消費者の立場に立った運動は、大衆的支持を受けたのです。

しかし、世の中は更に進みました。
グローバリズム、市場(主義)経済の完徹、
TPPなど聖域なき関税撤廃が、主にアメリカによって、叫ばれています。
このような流れに対して、
「消費者」概念が、抗うことを知らず、
むしろ、規制緩和論との親和性を誇る論者すら珍しくない状況をみるにつけ、
私は、消費者概念の歴史的限界を見るように思うのです。
グローバリズムのを無批判に受け入れ、
規制緩和論を無批判に肯定する中での、
保護されるべき「消費者」は、限りなく限定されるべきでしょう。
あいまいで分かりにくい概念を「市場」は嫌うでしょうから。

「消費者」概念が、窮屈になってきていることは、
このブログでもたびたび取り上げたところです。

しかし、私は、消費者運動の将来については、まったく悲観していません。
なぜなら、 消費者運動は、かつても、そして、現在も、 そして将来も、
そのときどきの社会で、救われない、弱きものの声なき声をすくい上げる
社会運動だったし、これからもそうだろうからです。
人間が人間らしくあるための、いとなみだからです。
消費者運動にとっての敵は、
1)狭苦しく凝り固まった「消費者」概念
そして
2)官僚主義の壁 ではないか。
そう思うのです。

言うまでもありません。 本当の消費者運動、真の消費者運動は、
今までの成功体験に安住することなく、 官僚主義の弊害を踏み越えて、
その原点…契約社会における弱者救済の観点から、
再構築されなければならないのではないでしょうか。
グローバリズムの足音騒々しい昨今、つとに思うのです。

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2013年2月 4日 (月)

民法~私法の一般法~

『民法は私法の一般法である。』

法学部では通常そのように習います。
すなわち、
通常、法体系は以下の通り、「私法」と「公法」に分かれるとされます。
【私法】~私人間のルールを定める法。
個人間、企業間、企業と個人の間など、全て、私法であると理解されます。
【公法】~国家の規律(行政法が典型です)や、
国家間のルール(条約・国際法)を定めるのが公法です。
刑事法も国家の刑罰権に関する法規犯なので、公法と位置付けられます。
いま、我が国の法制審議会において、この私法の一般法である民法
そのなかでも債権法を改正する議論が盛んに行われています。
私たちの生活領域の大半は、「私法」の支配する領域です。
この私法の領域で、「一般法」・・・特則規定がない限りここに戻る
原則を定める(一般法)民法がどのように改正されるかは、
この国の将来を定める大変重大な事柄なのです。
重要な論点ばかり、連日議論されている様子です。
中小零細事業者が保護の埒外に置かれるようなことがないよう、
中小零細事業者が食い物にされる~提携リーストラブルはその典型でしょう~
このような問題が放置されることのないよう、
更に注目していきたいと思います。

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2012年11月27日 (火)

比嘉正子さん ~ 生活者としての運動 ~

先日、
大阪は都島区にある
比嘉正子記念会館を訪問する機会がありました。
比嘉正子記念会館Web

みなさん、比嘉正子さんってどんな方か、ご存知ですか。
比嘉正子さんについて、上の記念会館Web記載を引用させて頂きます。
1905年(明治38年)3月5日、沖縄県首里市金城町に生まれる。
パプテスト女子神学校(大阪市東淀川区今里)を修了。
1931年(昭和6年)3月に都島幼稚園を設立して園長に就任、その後も幼児教育に力を注ぐ。
1945年(昭和20年)、戦後の深刻な食料危機にたまりかねた、
大阪府鴻池新田西村の主婦たち15人が立ち上がり「米よこせ」運動を起こし、功を奏した。
そのことを発端にして「おかみさんの会」が発足
比嘉正子は3代目会長となり、「大阪主婦の会」の始まりである。
1949年(昭和24年) 大阪主婦の会の書記長であつた比嘉正子は、
幼児教育に力を注ぐため役員を辞任。時を同じくして府下の各主婦の会が連合体を目指し、
「関西主婦連合会」の発足となり顧問になる。
1950年(昭和25年)12月「関西主婦連合会」2代目会長に就任する。
その後の活動は目覚しく、牛肉不買スト運動、電気料金・フロ代値上げ反対、
牛乳値下げ運動、主婦の商品学校など、活動と実践を重ね生活者の権利
を守るために全力を注いだ。
1969年(昭和44年)昭和25年以来の主婦の念願が実り
「関西主婦会館」(現在の比嘉正子記念会館)完成。
生涯を通して、ゆりかごから墓場までの理念のもと活動する。
物価問題を中心に多くの公職も歴任、物価問題懇談会、物価安定推進会議、
大阪市公営事業審議会委員などで活躍した。
1979年(昭和54年) 4月29日 勲三等瑞宝章を授章さる。
1992年(平成4年) 11月12日 87歳で逝去。
出典: 関西主婦連のあゆみ 関西主婦連のあゆみⅡ 女の闘い

大変傑出した人物だったのですね。
比嘉正子さんの名前を冠した会館は、
今もしっかりと運営を続けておられるようです。
(もちろん好き嫌いなど立場の違いによる評価の違いはあるでしょうが)
生活者の運動の出発点といえるかも知れません。

続きを読む "比嘉正子さん ~ 生活者としての運動 ~"

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2012年9月 2日 (日)

消費者契約法の「わな」  あるいは、過酷な副作用

提携リーストラブルの救済と予防に向けて、あれこれと動いていて、
私なりに、見えてきたことについて書こうと思います。

「ファイナンス・リース」が、金融秩序の規制をスルーするために発達し、
税務規制、会計規制を上手に乗り切るために発達した制度であることは、
良く知られているところ。

平成期の電話リース被害の爆発は、「通信自由化」という形での「規制緩和」によって、
競争をせざるを得なくなったNTTら通信事業者による競争意識と、
通信手段の多様化により、「ものの値段がわかりにくくなった」ことが
背景にあることも間違いのないところです。
最近流行のいわゆるホームページリースも、インターネットの発達を促す
通信自由化・規制緩和が背景になることは、誰しもが認めるところでしょう。

そこまでは、背景事情としての規制緩和(規制逃れ)のお話です。

では、被害者となった「お店屋さん」「職人さん」「町工場さん」たちを保護するために
提携リースに対する法規制を!と声を上げたときに、
必ずと言って良いほど持ち出されるのが、「消費者事業者2分論」なのです。
~いかに零細でも、たとえ高齢であっても、「事業者」である以上、
消費者に類するような保護を与えることは出来ない、との理屈です~
被害救済訴訟で、業者側が必ず主張される
「事業者間取引なのだから対等だ」「契約書に判子を押したではないか」等々のご主張も、
要は、如何に零細であっても事業を営む限りは、騙される方が悪いのだ。そういう議論です。
そして、「消費者事業者2分論」を規定した「消費者契約法」が、
規制緩和論の流れの中で制定されたことは既にこのブログでもご紹介しました。

人間を2つにわけてしまい、「消費者」を狭く捉え、零細事業者を弱肉強食の世界に落とす。
規制緩和論の目指す世界観は、そんなに貧しいものなのでしょうか。

近年盛んに行われてきた規制緩和の議論・・・
政府で行われてきた規制改革会議は、平成22年3月31日をもって終了しています。
内閣府、規制改革会議
内閣府の行政刷新会議
内閣府 行政刷新会議HP
が議論を引き継ぐ形を取っているようです。

この、大本、源流の部分がどのような仕組みで動いているのか。
注目して行きたいと思います。

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司法研修所卒業20年の同窓会に参加しました。

昨日は、司法研修所卒業20年の同窓会が京都で行われ、参加してきました。
全国から、同期の弁護士、裁判官、検察官、そして研修所の教官を務めて下さった大先輩方が集い、
このときばかりは「同期の仲間」として歓談です。

私が司法試験に合格した平成2年(1990年)は、
世間的には、大蔵省銀行局長通達で不動産融資総量規制が指示され、
バブル経済の崩壊が開始した年です。

そして、奇しくも、司法試験が、年間500人しか合格者を出さず、
世界で一番難しい、ばくちに人生をかけるようなものなどと揶揄された時代も、
私が合格した年が最後。
翌年の合格者から、600人、700人、~と増えていきました。
やがて規制緩和論の大合唱となり、
後の「司法改革」での弁護士大増員に結びついていきます。

「司法改革」のあおりで、
ロー・スクールが法曹養成の一翼を担うこととされ、
研修所教育も、最近随分変わってしまったようです。
ロー・スクール教育にも問題が多いとされているようです。
法律家の卵の質が低下しているという指摘が、最高裁からなされたこともありました。

私が受けさせていただいた研修所教育は、
裁判官にも、検察官にも、弁護士にもなれるように、
2年間かけて、みっちりと厳しく叩き込んでいただきました。
2年も同じかまのメシを食べた仲間です。まさに「同期の桜」です。
私自身、「裁判官になれ。検事になったらどうだ。」という有り難いお誘いに大いに悩んだ末、
やはりここは初志貫徹で弁護士になりますと頭を下げて、弁護士への道を進みました。
これは私だけの話ではなく、当時の研修所教育のもとでは、皆、そういう時代だったのです。

しかし、裁判官にも検察官にも弁護士にもなれるように鍛え上げる研修は、
今では行われていないようで、
そういう意味でも、本当に有り難い研修だったと思います。
裁判官、検察官、弁護士は、もちろん、仕事の中身が違います。
法廷で座る場所が異なりますし、果たす役割も違います。
ただ、法廷で壇上に座っている裁判官が何を欲しているのか?
法廷で向かい合って激論を交わしている検察官が、何をしようとしているのか?
それがわからなければ、良い弁護活動が出来るはずがないのです。
法廷で、法曹三者(裁判官・検察官・弁護士をあわせてこう呼びます)の
共通言語がなくなってしまい困る。そういう声を聞くこともよくあります。

規制緩和論の大合唱のもと、
「事前規制から事後調整へ」というスローガンに基づいて
推し進められた様々な政策。
司法改革も、消費者契約法の制定も、
大きな流れとしては同じ流れの中で為されました。
その光と影について、これからも見据えて行きたいと思います。

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消費者vs.事業者2分論がもたらすもの ~社会の姿・街の姿~

保護すべき「消費者」概念を消費行動を行う個人に限定し、
それ以外のお店屋さんや職人さん、町工場さんの営みを
ことごとく「事業者間取引」(Business対Businessという意味で、BtoBなどと言われますね)
として、私的自治、契約自由の領域の問題とする。

これが消費者契約法の描くデザインです。

割賦販売法や特定商取引法(従来の訪問販売法)には、
消費者vs.事業者という対立構造はないのですが、
「営業のために、営業として締結する契約のは適用しない」
という適用除外規定があり、「事業者には適用しない」という意味に
理解されてしまっています(解釈論として不正確ですが)。

どんなに零細なお店屋さんや町工場が悪質業者に騙されても、
B to B の対等な関係なのだから保護しない。
弱肉強食の世界で生き残れるのは、強いものだけ。

どんどんお店屋さんがなくなっていく。町工場がなくなっていく。
経済面での苦境から廃業する場合だけではなく、
「騙されて」要らぬ負債を負わされたことが致命傷になる。
大企業が経営する巨大ショッピングモールと、巨大工場だけの国。
グローバル経済のもとでは、それすら残らないかもしれません。
家電業界の苦境を見ると、日本に「巨大工場」は残らないでしょうね・・・。

経済のグローバル化の中で、
規制緩和論の急流に押し流されるように立法された
「消費者契約法」がもたらす(あるいはだめ押しをする)
日本社会の姿は、このようなものです。

このような姿(現実にかなり具体化しています)を素晴らしい社会と感じ、更に推し進めるか。
それとも、小規模事業者さん達、少人数で、家族や友人達で経営するお店屋さん達が
街に活気をもたらす社会を、再び目指すか。
このデザインの違い・・・
フリードマンらシカゴ学派と、エドモンドバークらに代表される保守主義の違いかも知れません。
(混同して議論されることが多い両者ですが、全く異なるものであることに留意すべきです)

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2012年8月26日 (日)

「消費者」vs「事業者」対置論への疑問~消費者契約法制定時の反対意見と規制緩和論~

私は、消費者と事業者とを対置し2分する議論は問題が多いと思います。
消費者と比較して、あまりに中小零細事業者の保護に欠ける面があるからです。
このことは、以前にブログで述べさせて頂いた通りです。
「消費者」の対義語は・・・

「消費者」「事業者」というマジックワード


では、何故、消費者契約法の制定時においては、
このような立法形式が選択されたのでしょうか。
疑問に思い調べていて、立法時の審議記録中に、
以下のような記述を見つけることが出来ました。

「事業者と消費者の間には構造的に情報量や交渉力の格差が存在する」とするのは一方的過ぎる。
全国の事業者の圧倒的多数は中小事業者であり、小売・飲食・サービス業で4名以下の事業所数は
300万にもなる。これらの事業者は、むしろ非常に弱いのであり、消費者の方が圧倒的に強い場合もある。

cf.国民生活審議会議事要旨
消費者庁のウェブに今も掲載されている
第17次国民生活審議会消費者契約法検討委員会
消費者契約法検討委員会第9回(平成11年10月29日)議事要旨中の記載です。
どの委員のご発言か、この議事要旨からは不明ですが、
やはり、立法検討段階から、単純2分論の問題点に気付き、
批判する声はあったのですね。

ではなぜ押し切られてしまったのか。
中小零細事業者を積み残すという弊害、
その弊害を超えるメリットがあると判断されたのか。
これから、少しずつ、探求してみたいと思います。

因みに、上記議事録を読むと良く分かるのですが、
消費者契約法は、「規制緩和論」の怒濤のような潮流の中で
生み出された法律だということに留意すべきかも知れません。
「事前規制から事後調整へ。」「裁判によらなくても良い国民にわかりやすいルール。」
「国民にわかいやすい」という美名の下で、
極端かつ不適切な(消費者vs事業者)二分法が採用されてしまったのではないか?
そのような推測も成り立つのではないでしょうか。

なお、上に紹介しました議事要旨意見の議事録部分(詳しいもの)を以下に掲載しておきます。
この意見を述べた委員は、どのような気持ちだったのでしょうか。
議論には、多数決には負けるが、後世のために、是非少数意見があることを明記して欲しい。
そういう気持ちで述べておられるようにも読めます。
目の前の議論の勝ち負けを超え、歴史を見据えた、大変立派な態度と思います。
○ 委員
 基本的考え方の「(2)立法のスタンス」というところでございますが、前にも発言させていただいておりますが、ここには「事業者と消費者の間の構造的な情報力格差や交渉力」と一方的に決めつけられておりますが、今のご発言の中にもございましたが、前にも申し上げましたように、全国の事業者の圧倒的多数は中小企業者です。皆さん、どこまで現実をご理解いただいているかわかりませんので数字をもって申し上げますと、例えば我々が日常の買い物をする小売業、飲食業、あるいはサービス業で、従業員4人以下の本当に小規模零細でやっておられる事業所が300万以上ございます。中小企業の中でも非常に小さいところがかなりの部分を占めているわけです。
 今回の法律があらゆる消費者契約を対象にする、しかも時間のかかる、お金のかかる裁判に持ち込まないで、現場で迅速に処理ができるような一般的なルールを作ろうということでございますので、本来、私どもの立場から申し上げれば、こういった有店舗で小規模零細でやっている方なんかは、ほとんどトラブルなくやっているわけですから、本来は除外してほしいと言いたいところでございますが、そこは、せっかくこういう議論をされて国民的ニーズもあろうというので、我々としてはできる限り明確にやっていただきたい、ルールとしてはっきりしたものに限定すべきだと申し上げているわけです。
 その根底にありますのが、まさに情報量、あるいは交渉力の格差というのは間違っている、格差があるというのは一方的すぎる。1人や2人、あるいは4人以下の小規模事業者は、むしろ消費者に対して非常に弱い立場なのです。皆さんも日常の行動をお考えになればと思うのですが、小さな商店に行けばどっちが強いか、消費者の方が圧倒的に強い場合もたくさんあるわけです。すべてとは申しませんが。
 したがって、基本となるスタンスをこうやって決めつけられるのはおかしいのではないか。もう一つの見方もあり得るというのは是非書いていただきたいと思います。

国民生活審議会議事録
_________________________________

この委員の意見には、まさに、今、私が言いたいこと、
中小零細事業者の保護が忘れ去られてはならないということが、
切々と述べられています。
人と人との間に、情報力・交渉力の格差が類型的にある場合とは、どのような場合なのでしょうか。
一方を「消費者」として保護すべきと規定するとき、・・・このこと自体は素晴らしいことと思います。
「消費者」に対置するものとして、何故、「事業者」を置かなければならなかったのか。
・・・私は、この対置論は今や克服されるべきと思います。

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2012年8月18日 (土)

「消費者」に対置概念は必要だったのか?~消費者契約法デザインへの疑問

消費者と事業者を単純に対立させる議論の弊害、危険性について、
このブログでも再三述べて来ました。

消費者事業者対置論への疑問~消費者契約法制定過程と規制緩和論

「消費者」「事業者」というマジックワード

「消費者」の対義語は?

実はこの単純二分論に立脚して立法されたのが、消費者契約法なのです。
では、現代社会で特に保護されるべき存在を「消費者」とし、保護規定を置くとして、なぜ、消費者と対立する対置概念として「事業者」と規定(しかも極端に広範な定義規定を置いています)してしまったのか。
立法技術的には、そのような規定ぶりにする必要は全くなかったはずです。
例えば、簡単に事業者と規定しなくても、消費者に契約の勧誘をする者、消費者との間に締結する契約。消費者との間の取引を行うもの(消費者を除く)。などなど、条文の規定の作り方は、いくらでもあったはずなのです。
善意に理解すれば、消費者を騙す悪質業者を念頭に「事業者」としたのかも知れません。
それにしても消費者契約法の「事業者」の定義は広範に過ぎ、却って、保護されるべき「消費者」を狭い世界に押し込めてしまっているのです。
私は、消費者契約法自体を悪法だとまで言うつもりはありません。
しかし、消費者契約法が採用した消費者vs.事業者単純二分論。
~人間を2つに分けてしまうこの手法は、劇画的とすら言えましょう。
規制緩和論のもと、「国民に分かりやすいルールを!」とのスローガンに基づいてこの様な乱暴な立法がなされたことは、国民生活審議会の議事録から知ることが出来ます。~
その「副作用」として、中小零細事業者を弱肉強食の世界におとしてしまった。
このことに対する手当ては、なされて然るべきと思うのです。

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