カテゴリー「組織論・企業論・リーダー論」の16件の記事

2013年3月13日 (水)

組織における人事のあや ~ 隠密裡に進めることの正当性

組織における人事ほど、難しいものは無いと言われます。

ある人物を抜擢したい。この人物はわきにどいて欲しい。
このような思惑を秘めて、
特に年度末のこの時期、
様々な情報が飛び交い、
様々な接触活動が行われますね。

そして、多くの場合、
「正式決定があるまで、くれぐれも内密に」と言うように、
因果を含めるようです。
このような口止めは、
多くの組織にとって、
人事情報が事前に漏れて噂になり、
あらぬ妨害が入ったりすることを防ぐ点で有効でしょう。
もちろん、公務員の人事は、
それ自体公務員の守秘義務の対象になり得る事柄ですから、
口外できないのは当然です。
しかし、そのような正当な範囲での口止めを超えて、
周囲が、やたらと神経質になっている場合は、注意が必要です。
何か、隠された意図、隠された狙い、構造があるのではないか?
そういう風に、場合によっては、斜に構えて、
幅広く多方面から情報を収集し吟味することが必要な場合もあるでしょう。

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2013年2月 2日 (土)

権謀術数、術策の効用

権謀術数をめぐらせ、術策を弄し、
あらゆるものごとを総動員して、
自らの目的を達成する。
世で忌み嫌われる悪だくみの象徴のような言葉です。

しかし、私達弁護士は、
術策を弄して勝つくらいなら負けた方が良いなどとは

言い切れない仕事をする立場です。
もちろん、場合によるのですが、
きれいごとをいうだけで負けてよいと割り切れない場合、
例えば、単なる私的紛争に止まらない場合には、
徹底的に、すべてのチャンネルを用いて、
事態の好転を図ることは、
私は、弁護士の当然の責務ではないかと思うのです。

弁護士は、まずもって、法廷において法を語るプロです。
しかし、だからといって、
他の世界とのチャンネルを持たず、
政治的、経済的に、社会的に、
アマチュアで良いかどうかは、別だと思うのです。

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2013年1月 6日 (日)

読書日記~国難・石破茂

石破茂氏の「国難」 。

自民党政権誕生ということもあり、読んでみました。
平成24年末の解散総選挙が決まるかなり以前、昨年夏の出版です。
しかも 石破茂氏がかねて書きためた持論などの原稿に拠る部分の多い、
密度の濃い著作物と感じました。
自民党政権の、とりわけ、国防、農政という 国家の根幹に関わる分野での
一目置かれる人物の書として、
今後の自民党政権を行く先を読む意味もありそうです。
自民党が下野した当時の同党の活動、
同党の新綱領の内容などにも触れられています。
下野時代の自民党が石破氏を陣頭に、
TVのバラエティ番組でも何にでも、自ら押しかけて
とにかくマスコミに露出していく戦略を採ったこと、
石破氏自身、論理的に物事を突き詰めて検討し、
反対説を徹底的に研究し全て論破できる確証をえてからでなければ
自説を政策として口にしないことにしていることなど、
凄みを感じる話が紹介されています。
学ぶところの多い書物だったと思います。

この国をよりよいものとするために、何を議論し、何をすべきなのか。
私も、今まで以上に、よりいっそう考えて行こうと思います。

*なお、私の政治的信条や支持政党、個々の政策については、
ここでは触れるものではありません。
ご了承下さいますようお願い致します。

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2012年11月23日 (金)

勝負、そして、本当の勝者とは ~ 映画「ハスラー」を例に

ハスラーという映画。
1961年にアカデミー賞を受賞した、
若き日のポール・ニューマン主演のアメリカ映画です。
ビリヤード場(プール場)を舞台に勝負を繰り広げる
ハスラーたちの姿を描いた内容
~日本でいえばやや博徒映画的~で、
当時大ヒットしたものです。

1961年(昭和36年)といえば私の生まれた年ですから、
私よりも一世代二世代上の方々は、
映画館でご覧になった方も多いのではないでしょうか。

このブログの読書日記でもご紹介しました
現場主義のリーダー論~コリン・パウエル
米軍元統合参謀本部議長コリン・パウエルは著書の中で、
この「ハスラー」という映画のことを、
もっとも好きな映画と述べています。

確かにこの映画、全編大金を賭けた勝負の場面ですので、

勝負事についての多くの示唆を受ける内容です。

なかでも、冒頭の大勝負
~ポール・ニューマン演じる若き挑戦者エディ・ファルソンが
シカゴの帝王ミネソタ・ファッツに挑みかかり、
勝負の前半、中盤と、勢いと技量で圧倒しつつ、

しかし、持久戦に持ち込まれ、互いに疲れ、
そして、ふとした「気のゆるみ」から
形勢を一気に逆転され大敗を喫します~

は、なるほど、パウエルが著書で指摘するとおり、
勝負事における「すごみ」、勝負の「あや」、
といったものを感じる名場面です。

最後に勝敗を分けるものは何か。
とても示唆深い内容です。


映画の終盤で、再度の大勝負です。
今度は様々な意味で成長した
挑戦者エディ・ファルソンがシカゴの帝王に勝利します。

エンディングでは、賭場を仕切る顔役(今で言えば反社会的勢力でしょう)との
決別を通じて、勝利した若き挑戦者エディが今後進む先が暗示されています。


コリン・パウエルが推奨するだけあって、
この映画は、ビリヤードを通じて勝負事の怖さを教えてくれます。


ただ、私は、この映画は、それだけの映画ではないと感じました。

金を儲けるためであれば何をしてでも勝てばよいのか。
愛する人を死なせても、それでも勝てばよいのか。
本当の勝利とは。真の勝者とは、誰なのか。

勝負に拘り愛する人を死なせてしまった
若き挑戦者(勝者)エディのエンディングでの問いかけです。

軍人であるパウエルが、この映画が大好きだとしつつ、
「最後まで観たことがない・・・」、と著書で記していることの意味は、
このあたりにあるのかもしれません。

Photo


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2012年11月17日 (土)

宣伝広告・広報の難しさ ~ マスコミの難しさ

何事かをマスコミに取り上げてもらおうとする場合、
お金を支払って新聞の広告欄に掲載してもらう、
TVでCMを流すという方法が最も手っ取り早い方法でしょう。
ただ、そのような方法によった場合でも、
政治的意見広告が新聞社の社是と異なる場合などに
新聞社側が掲載を拒否して物議を醸したこともあります。
例えば・・・
また、広告掲載費用は決して負担の軽いものではありません。
自分たちの活動を広く世の中の人たちに知ってもらいたい。
しかしお金がない。
そのような場合、しかるべき場所の記者クラブで
記者発表させていただくことを考える場合が多いの様です。
特に行政庁(因みに弁護士会も弁護士法を設置根拠とする行政庁と理解されています)
関係者にとって、当該行政庁と関連する記者クラブは身近に感じることもあるでしょう。
しかし、会見を開き記者発表しても、
情報として新聞の紙面に掲載したりTV放送するだけの価値がない。
そうマスコミ側が判断すれば、当然、記事にはならず、放送もされません。
これは当たり前のことであって、
「記者クラブで発表したのに記事にしないマスコミが悪い」云々というのは、
八つ当たりでしょう。
例えば、記事にならなかった、放送されなかったことが原因で、
ある「企画」が失敗したとします。
その失敗の原因は、決して、
記事にしなかったマスコミの記者やデスクである筈はないのです。
何を報道するかについて、マスコミは全く自由なのですから。
「広報の失敗が原因」と一言で済ませてしまうのは簡単です。
しかし、それで済ませていては、
失敗をひとのせいにしているのと同じではないでしょうか。
マスコミへの接触方法、話題提供の手法も含めて、
「企画」に欠陥があったのではないか。
企画のどこにどのような問題があったのか。
企画立案過程、遂行過程など各過程で、甘いところはなかったか。
改善できる問題なのか。改善策は。
企画者側、マスコミに持ち込んだ側は、
その点をこそ真摯に検証すべきなのです。
記者クラブでの発表以外に、多種多様な情報発信手法が
発達している今日においては、尚更です。

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マスコミ対策と弁護士~例えば事故対応~

企業・組織において事故が発生した場合。
事故についていち早く正確な情報を収集し、
対策を講じ、被害を最小限に食い止める。
事故の影響を測り、関係先へのフォローを行う。
このようなことが真っ先に必要であることは、
私が申し上げるまでもないでしょう。
上に書いたような本来の事故対応とともに、
決して忘れてはならないのがマスコミ対応です。
政治学の世界で、マスメディアが、
立法、行政、司法(国家統治機構における三権)と並ぶ、
第4の権力と呼ばれて久しいのです。
では、事故対応として、マスコミ対策をどのようにすべきか。
事故のタイプによって対策は全く異なるでしょう。
記者から問い合わせが入ったとき、
どの部門の誰がどの様な対応をするか。
幹部や事故関係者に直接取材要請があった場合の対応をどうするか。
あわせて夜討ち朝駆け取材があり得るか。
そもそも記者会見を開くか。どのタイミングで記者会見を開くか。
そこでどのようなことを発表するか。
事故発生の直後から、
企業なり組織のトップのもとで危機対応チームを組み、
ポジショニングペーパーの作成など、作業を開始すべきです。
混乱したまま、取材を受けたものがそれぞれバラバラに応答したのでは、
後から食い違いを指摘され、「嘘をついた」などと、
あらぬ非難を受けかねないからです。
*例えば、偽装発覚時にパート従業員に責任転換を図った
船場吉兆は、その後も、元来からのコンプライアンス意識の欠如に加え、
内部通報が続出し、結局倒産しました。
船場吉兆の例は、事故対応以前の問題ではありますが、
当初から筋の通った対応を行う必要性という観点からも、
貴重な教訓を与えてくれているように思います。
私は、事故対応の極めて初期の段階から、
マスコミ対応という意味でも、
マスコミ対応に長けた弁護士を関与させることは、
企業なり組織にとって、とても有益だと考えています。
何より法律上も筋の通った事故対応をしなければ成りませんし、
法律的にも筋の通った説明を、マスコミに対して行う必要があるからです。
マスコミ側(マスコミを通じての世の中)は
あくまで企業なり組織のトップ・責任者の声を求めますから、
弁護士はわき役・裏方にとどまることが多いのですが。
今でも、実は多くの記者会見や取材対応について
弁護士が関与しています。
様々な機会を通じて新聞・TVなどマスコミ界の方々と交流し、
人間関係を持つとともに、
マスコミの特性といったものについて知見を深める。
このようなことも、弁護士の大切な仕事の一部なのです。

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2012年10月28日 (日)

独善を排する

独善的なものの考え方や、独善的な考え方をする人物と接触して
不愉快な思いをすることは、誰しもが経験することです。
独善的人物の言動は、えてして「上から」目線、「上からの」お言葉ですし、
排他的で幅のない、人間的な暖かみを全く感じられない意見を押しつけてきたりします。
独善主義者は多くの人が接触を避けるようになりますから、
似たもの同士でコミュニティを形成し、
よりいっそう独善的になってしまう場合もあるように思います。

自分が独り善い(正しい)と信じることは、
それを悪いと決めつける程のことではありませんが、
独善的になってしまうと、やはり、人付き合いの上で損をしますし、
組織のリーダーがこのような傾向を強めれば、
組織が結果として間違った方向に向かいかねません。

独善に陥らないためには、どのようなことに気を付けるべきでしょうか。
やはり、積極的に世に出て様々な場面で様々な人と交流・意見交換をして、
常に、自らの考えに対する批判を積極的に受け入れ、
自らの意見を相対的に捉える努力をすることだと思います。
様々な場年に出会いますが、
自らと異なる立場、異なる意見の持ち主を人間的に全否定してしまうと、
独善に陥りやすい様に思います。
意見と人間を同一視しない、ということも大切な様に思います。
自らと異なる見解の書籍をあえて読むというようなことも、
有意義な場合があるでしょう。
イエスマンで周囲を固め、自分の部屋から出ない。
このスタイルはとても危険~独善に陥るリスクが高い様に思います。

(自戒の念をこめて。)

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歴史探訪~吉田松陰と松下村塾

明治維新に向けての幕末期、
吉田松陰(長州藩)が、江戸幕府との関係で困難な身に陥り、
松下村に幽閉された際、そこに、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文などなど
多くの若者が集い、松蔭の薫陶を受けました。
歴史に名高い「松下村塾」です。

吉田松陰は激烈な尊皇攘夷論者といわれますが、
その後の塾生達の大活躍ぶりを見れば明らかなとおり、
単にイデオロギーを説くだけの人物では無かったようです。
元々が長州藩お抱えの兵学者の家柄である吉田松陰は、
自らも海外渡航を試みるなど、事実を直視することに極めて貪欲でした。
(少なくとも軍事的には)厳しく冷徹な目を持っていたと思われますし、
すぐれた教育者としての面を兼ね備えていたことは明らかと思われるのです。

吉田松蔭は、わずか2年程の間松下村塾で教えた後、安政の大獄で命を落とします。
江戸に向かう際の松蔭の気持ちを綴った文書や、伝馬町の牢屋での文書、
刑殺される直前の記述文書などが、
松下村塾の隣に近年開設された「至誠館」という史料館に展示されており、
閲覧することが出来ます。
資料や文章を読めば、吉田松蔭が、本当に命がけで国のこと民のこと家族のことを思い、
実践した人物であることがひしひしと伝わってきます。
国政を論じ、政治に携わる人達はもちろん、
そういうこととは縁遠い庶民からも、吉田松陰が今も尊敬を集める所以でしょう。

その後の塾生達のなおいっそうの奮闘ぶりは、皆さんもよくご存知のところと思います。

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2012年10月21日 (日)

読書日記~現場主義のリーダー論~コリン・パウエル「リーダーを目指す人の心得」

コリン・パウエルといえば、
アメリカ史上最年少で統合参謀本部議長に上り詰め、
その後、アメリカの国務長官を務めた人物です。

コリンパウエルが書いたビジネス書ということで手に取ってみました。
彼の現役軍人&政治家としての評価は様々なものがあると思います。
(とりわけイラク戦争に対する関与)

しかし、ジャマイカ移民2世として、ペプシコーラ工場の清掃の仕事から身を起こした人物。
やはり、組織人として、組織のリーダーとして、何を行うべきであり、いかにあるべきか。
そういった観点からの記述には、大いに示唆に富むものがありました。

中でも、コリンパウエルが、
徹底的な現場主義を唱える点は、やはりさすがだなと思えるものです。
本書の章立ての中にも「現場が正しくスタッフが間違っている」との項目があります。
パウエルは、自らが率いる組織における「現場からの情報」が遮断されてしまわないように
例えば、組織や機構を改革する、中間管理職のスリム化などを行うほか、
執務室のドアは常に開け放つ。
散歩に出るルートや時間を安定させ、自分をつかまえて話がしたい人がいたら
散歩中に声をかけることが出来るようにする。
自らまったく抜き打ちで兵舎を訪問する。
あるいは、ビルの地下車庫を突然訪問し、車の入出庫を管理する掃除夫達と話し込む。
等々といった様々な手立てを講じます。
あらゆる組織のリーダーにとって、参考にすべき姿勢と思います。

Korinn

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2012年7月 7日 (土)

もの言えぬ組織の末路~JR尼崎事故・歴代3社長裁判が裁くもの~

先日来、このブログで、
現場の声に耳を傾けることがいかに大切かを述べてきました。
現場の声が届かない!~滅びる組織とは~

この点について、注目すべき裁判
~JR尼崎事故についての井出氏ら歴代3社長の刑事責任を問う裁判~
が、昨日(7月6日)神戸地方裁判所において開始されました。
~正確には、起訴自体はずいぶん以前になされ、
公判前整理手続が続けられてきました。
昨日は、ご遺族やマスコミ達傍聴人が傍聴できる形での、
第1回公判が行われたのです。

刑事裁判の第1回公判においては、
検察官、弁護人双方が、冒頭陳述という形で、双方の主張立証方針(防御方針)を示します。
この裁判は、検察審査会経由の強制起訴事件ですので、
プロの検察官はおらず、検察官役も、弁護士が「指定弁護士」という名前で行います。
わかりにくいですね・・・。
報道記事を読まれるときは、
「指定弁護士」=検察官(被告人の刑事責任を追及する立場)
と読み替えてみて下さい。

この事故について、訴追機関である検察庁が唯一起訴した山崎氏については、
先日、無罪判決が確定しています。山崎氏無罪確定へ(MSN産経)
ブログの題名を「第2陣」としたのは、その意味です。

昨日の第1回公判において検察官役の指定弁護士により行われた
冒頭陳述(主張立証方針)の内容が公開されました(7日の新聞各紙が報じています)。

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