カテゴリー「旅行・地域」の8件の記事

2014年1月16日 (木)

母校の銀杏並木

昨年12月初旬に東京に出張した際、空き時間を利用して、
母校・東京大学の本郷キャンパスを訪れることができました。

法文1号館と2号館の間は銀杏並木なのですが、
折しも、綺麗に色づいておりました。
法学部生が主に授業を受ける法文2号館は、
(職員の方に声をかけさせて頂いて
少し館内も拝見したのですが)
30年前の私が通った当時と、
まったくと言って良いほど変化がなく、
私にとっては心地よい驚きでした。
風景というものは不思議なもので、
様々な記憶を喚起してくれました。

若き頃法学を学んだ本郷の地で、
学び続けることの大切さと、
代わらないことの大切さを
思い出させてもらったように思います。

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2013年11月20日 (水)

ご近所探訪 ~ お初天神

私の事務所から歩くと20分くらいのところに、

お初天神~正式名称露天神社(つゆのてんじんしゃ)があります。

神農さん(少彦名神社)の入り口に、

谷崎潤一郎の細雪の碑があることはご紹介しましたが、

お初天神の境内には、

近松門左衛門の人形浄瑠璃「曽根崎心中」

の主人公、徳兵衛とお初の立派な像が。

神社の境内でもこの一角は、

「恋人達の聖地」という扱いです。

「曽根崎心中」は、元禄16年4月7日に起こった、

堂島新地天満屋の遊女「お初」と内本町平野屋の手代「徳兵衛」が

この神社の「天神の森」にて情死した事件をもとに、

近松門左衛門が劇化したもの( http://www.tuyutenjin.com )

今でも恋人達の聖地と扱われる所以です。


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Sonezsakisinnjyuu

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2013年11月18日 (月)

ご近所歴史探訪~道修町の歴史~

神農さん(少彦名神社)のある薬問屋の街、道修町。
神農さんのお隣いんは、「くすりの道修町資料館」があり、
誰でも無料で見学させて頂けます。
私も資料館を見学して、少し勉強させて頂きました。
道修町の発祥は、どうやら、豊臣秀吉の城下町作りに端を発する様子。
大塩平八郎の乱では、かなりの部分が消失したそうです。
また、大阪の町人達が愛珠幼稚園を発足させた際には、
道修町の薬問屋達が大いに力を発揮したとか。
神農祭りで有名な張り子の虎は、
大阪市の指定無形文化財になっているそうです。

Siryoukan

Harikonotora

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ご近所探訪 ~ 難波橋(ライオン橋)

北浜駅(京阪電鉄・地下鉄)の駅を出ると、
北側に向けて、
大きなライオンの像が橋桁にかかった橋、
難波橋(通称ライオン橋)があります。
北に渡りきる途中、大川の中間地点に中之島があり、
中央公会堂や、東洋陶器美術館に行くことが出来ます。
また、薔薇の花が美しい通称バラ園という公園などが整備されています。

この橋を北に渡り切って頂けば、私の事務所が直ぐあります。

歴史の中では、難波橋は、
大塩平八郎の乱で、大塩軍が、この橋を南下し、
大阪の豪商街に向かったことでも有名ですね。

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ご近所歴史探訪~愛珠幼稚園と銅座の跡

私の事務所から南西に徒歩10分ほどのところに、

愛珠幼稚園の園舎があります。

愛珠幼稚園のホームページによれば、
 愛珠幼稚園
「主人花を愛すること、珠を愛するが如し」
幼子もまた掌中の珠として愛するという
園名の由来にあるように明治13年に創設された、
大阪で一番歴史の長い日本でも3番目に古い幼稚園です。とのこと。
国の重要文化財に指定されています。

この幼稚園、民間建築の幼稚園としては日本最古のものだそうです。
当時財力を誇った大阪商人~道修町などの財力の背景が伺えますね。

オフィス街のドア真ん中にこのような風情ある営みが残っていること自体、
とても不思議で、また、何とも幸せな気持ちになりますね。

Aisyu1

Aisyu2

愛珠幼稚園の玄関脇には、「銅座の跡」の碑が。
こちらもなかなかの歴史を感じさせられます。

 

 

Aisyudouzanoato

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2012年10月28日 (日)

歴史探訪~吉田松陰と松下村塾

明治維新に向けての幕末期、
吉田松陰(長州藩)が、江戸幕府との関係で困難な身に陥り、
松下村に幽閉された際、そこに、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文などなど
多くの若者が集い、松蔭の薫陶を受けました。
歴史に名高い「松下村塾」です。

吉田松陰は激烈な尊皇攘夷論者といわれますが、
その後の塾生達の大活躍ぶりを見れば明らかなとおり、
単にイデオロギーを説くだけの人物では無かったようです。
元々が長州藩お抱えの兵学者の家柄である吉田松陰は、
自らも海外渡航を試みるなど、事実を直視することに極めて貪欲でした。
(少なくとも軍事的には)厳しく冷徹な目を持っていたと思われますし、
すぐれた教育者としての面を兼ね備えていたことは明らかと思われるのです。

吉田松蔭は、わずか2年程の間松下村塾で教えた後、安政の大獄で命を落とします。
江戸に向かう際の松蔭の気持ちを綴った文書や、伝馬町の牢屋での文書、
刑殺される直前の記述文書などが、
松下村塾の隣に近年開設された「至誠館」という史料館に展示されており、
閲覧することが出来ます。
資料や文章を読めば、吉田松蔭が、本当に命がけで国のこと民のこと家族のことを思い、
実践した人物であることがひしひしと伝わってきます。
国政を論じ、政治に携わる人達はもちろん、
そういうこととは縁遠い庶民からも、吉田松陰が今も尊敬を集める所以でしょう。

その後の塾生達のなおいっそうの奮闘ぶりは、皆さんもよくご存知のところと思います。

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2012年9月30日 (日)

歴史探訪 ~ 適塾 ~

私の事務所から南に歩くこと10分弱の街中に、
幕末の蘭学者・緒方洪庵が開設した「適塾」があります。

適塾は、その後の大阪大学の源流の1本になったとか。
大阪大学の以下のサイトが、適塾のことをしっかり紹介しています。
大阪大学のHP~適塾~
こういった沿革が、大阪大学が理系中心・医学部中心といわれる学風を残す所以でもあるのでしょうね。

歴史好きにとっては、適塾で学んだもの達、・・・
大村益次郎、福澤諭吉、橋本左内、、長与専斎、佐野常民、高松凌雲などなどの人材の、
幕末から明治維新にかけての活躍ぶりは驚嘆です。

進取の気風、移住闊達な研究と議論、緒方洪庵の適塾は、
そういったものに満ちあふれていたのではないでしょうか。

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2012年9月17日 (月)

みさき公園ふたたび 

Misakinanbei


最近、みさき公園づいています。
先週末は、イルカショーのほかに、
ロバの乗馬体験、そして、
~体験!南米の森~ というイベントに、
家族が参加しました。

小さなサルが頭や肩に飛び乗ったり、
「ナマケモノ」にエサをやったり、
「アルマジロ」をひざ上で抱っこしたり。

いや、なかなか楽しんだ様子です。
これだけの動物との密接なふれあいが出来る場所、
それほど多くないのではないでしょうか。

南海電車「みさき公園駅」徒歩5分。
大阪の最南端ではありますが、
「なんば」から特急サザンで45分。
小さな家族にとっては、なかなかのもののようです。

みさき公園Web

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